感情が先行するとき、数字は後退する
ヘラルボニーの話をすると、多くの人が目を輝かせる。知的障害のある作家のアートをラグジュアリーブランドのように展開し、「異彩を、放て。」というコピーとともに社会に問いを投げかける。2018年の創業から数年で累計調達額は数十億円規模に達したと報じられており、メディア露出は絶えない。共感経済の時代における成功モデルとして語られることが多い企業だ。
だが、Impact Management Reviewが独自に実施したインパクト経営成熟度診断では、ヘラルボニーの「測定(Proof)スコア」は2.5、「開示(Transparency)スコア」も2.5と、今回評価した国内外12社の中で最低水準に位置している。総合レベルはLevel3(管理・運用)だが、インパクト測定という観点に限れば、Level2にとどまる。
これは批判ではなく、問いである。なぜ、これほど社会変革への意志が明確な企業が、インパクトを数字にできないのか。あるいは、できていないのか。
ヘラルボニーが変えようとしているもの
同社の事業を整理しておこう。ヘラルボニーは福祉施設に所属する知的障害のある作家と契約し、その作品を服飾・雑貨・内装・企業コラボレーションなどに展開する「福祉実験ユニット」を自称する。単なるアートビジネスではなく、障害者の経済的自立と社会的包摂を同時に実現しようとするモデルだ。
Theory of Changeは明示されている。「異彩ある文化の発展への貢献」というビジョンのもと、福祉施設とのライセンス契約による収益分配、作家のクレジット表記の徹底、企業向けD&Iコンサルティングなどを通じて、障害に対する社会的偏見の解体を目指す。ロジックモデルとして読めば、アクティビティ→アウトプット→アウトカムの連鎖は一応描けている。
しかし問題は、そのアウトカムが測定されているかどうかだ。
「見えない」三つの数字
現時点でヘラルボニーの公開情報、プレスリリース、インタビュー記事を網羅的に調査した結果、以下の三つの数値が見当たらない。
第一に、アーティストの報酬実態。 同社はライセンスフィーを福祉施設に支払い、施設が作家に分配する構造を採っている。しかしその配分率、作家一人あたりの年間報酬の実績値、施設との契約条件の概要は一切公開されていない。「アーティストが対価を得る」という命題の検証が、外部からは不可能な状態にある。
第二に、パートナー施設の経済的便益。 現在100を超えるとされる契約施設との関係性において、施設単位での収益貢献がどの程度かを示すデータは存在しない。施設によって関係の深さも収益規模も異なるはずだが、集計値すら開示されていない。
第三に、受益者の生活変化。 これが最も本質的な問いだ。ヘラルボニーと契約した作家の収入は増えたか。社会参加機会は広がったか。自己効力感に変化はあったか。こうしたアウトカム指標が、公開されたいかなる資料にも存在しない。
International Finance Corporation(IFC)が提唱するImpact Management Project(IMP)のフレームワークに照らせば、ヘラルボニーが把握・開示しているのは主にアウトプット(作品点数、コラボレーション件数、メディア露出)であり、アウトカム(受益者の変化)とインパクト(社会全体の変化)の階層には届いていない。
なぜ測定できないのか——三つの仮説
この「可視化の空白」には、いくつかの構造的要因が考えられる。
仮説1:測定コストと事業規模のミスマッチ
インパクト測定は、特に受益者調査を伴う場合、相当のコストと専門性を要する。スタートアップが成長局面において、事業開発とインパクト測定を並行して制度化するのは現実的に難しい側面がある。ヘラルボニーは2023年時点の報道では正社員数十名規模とされていた(本稿執筆時点で最新の従業員数を示す公開情報は確認できていない)。仮にその後増員が進んでいるとしても、急成長期のスタートアップがIMMフレームワークの構築に割けるリソースは限られやすい。
仮説2:間接構造が生む測定の困難
ヘラルボニーは作家と直接雇用関係にない。収益は施設を通じて分配される。この間接構造は、福祉領域の制度的現実(施設が支援の主体)を反映しているが、同時にアウトカムデータの収集を複雑にする。誰が誰を対象に何を測定するかの設計が難しく、施設側の協力も必要になる。
仮説3:「感動」がインパクト測定の代替になっている
これが最も根深い仮説だ。ヘラルボニーのビジネスモデルは、作品の美しさと物語の力によって消費者・企業・メディアの共感を獲得することで成立している。「数字」よりも「感動」の方が市場での訴求力が高い場合、経営者にとってインパクト測定への投資優先度は相対的に下がる。測定しなくても成長できるなら、測定の動機は弱い。
「語られない数字」が示すリスク
この問題を「スタートアップ特有の過渡期」として放置することは、いくつかの理由から危険だ。
まず、投資家・パートナー企業の期待とのギャップ。ヘラルボニーはインパクト投資家から資金を受けており、企業コラボレーションの多くはD&I目標の達成を期待する大企業だ。これらのステークホルダーは、遅かれ早かれアウトカムデータを求め始める。「感動の証言」だけでは説明責任を果たせない局面が来る。
次に、事業モデルの持続可能性の問題。ヘラルボニーが「福祉施設とのフェアな関係」を謳う限り、その公正性の根拠を示す義務がある。アーティストへの適切な対価という命題が外部から検証できない状態は、いつか問題になりうる。一般に福祉領域のビジネスでは、対価配分の透明性が不十分なまま事業が拡大すると、意図せず関係者の利益を損ないかねないと指摘されることがある。ヘラルボニーについて具体的な問題が確認されているわけではないが、だからこそ早い段階での情報開示が信頼構築の予防策になる。
そしてインパクトウォッシングのリスク。測定せずに社会変革を標榜することは、意図せずとも「インパクトウォッシング」と批判される素地を作る。特にESGへの目線が厳しくなっている企業パートナーにとって、開示不足はリスク要因として映りはじめている。
比較から見えること——坂ノ途中との差
同じ国内スタートアップとして、坂ノ途中との比較は示唆に富む。坂ノ途中のProofスコアは4.5、Transparencyスコアは4.0と、今回の12社中トップ水準にある(詳細は本誌既報「坂ノ途中はなぜ日本で唯一Level4に到達したのか」参照)。
坂ノ途中が実現していることの核心は、農薬使用量削減・生物多様性指標・農家の手取り改善という三つのアウトカムを、事業オペレーションと一体化した形で継続的に収集していることだ。測定が「レポート作成のための作業」ではなく、「事業の意思決定に使われるツール」になっている。
ヘラルボニーに同等のことを求めるのは酷だろうか。いや、そうではないと私たちは考える。作家の収入変化、福祉施設の収益改善、アーティストのウェルビーイングは、いずれも測定可能な指標だ。難しいのは意思であって、技術ではない。
「測定できないもの」への向き合い方
公平を期すために付言すれば、ヘラルボニーが測定しようとしているものの一部は、確かに定量化が難しい。「障害に対する社会的偏見の解体」というアウトカムは、長期的・広域的な変化であり、単一企業が単年度でアトリビュートするのは方法論的に困難だ。
しかし、これはアウトカム測定を諦める理由にはならない。インパクト測定の国際実践においては、こうした困難に対して「プロキシ指標」「理論的貢献の範囲の明示」「長期アウトカムフレームワーク」といった解が開発されている。欧米のインパクト先進企業は、測定が難しいからこそ丁寧に方法論を開示し、限界を認めた上でデータを示す。
測定できないことを隠すのではなく、測定の限界とその前提を開示すること——それがTransparencyスコアを引き上げる本質だ。ヘラルボニーに欠けているのは数字そのものより、「何を、なぜ測れていないか」という誠実な開示かもしれない。
成長の次の問いへ
ヘラルボニーはいま、明らかに成長ステージにある。売上拡大、採用加速、海外展開の予兆——ビジネスとして機能していることは疑いない。だからこそ、この問いを投げかけるタイミングは今だ。
インパクト経営の成熟度は往々にして、危機が来てから問われる。投資家が変わる、パートナーが問い直す、メディアが批判的に報じる——そのときに「感動」は防波堤にならない。
ヘラルボニーが「異彩を放て」という言葉を看板に掲げるなら、インパクト測定においても異彩を放ってほしい。福祉×アートという領域で、誰よりも丁寧にアウトカムを定義し、誰よりも誠実に開示する企業になること。それは、同社が描くビジョンに矛盾しない、むしろ必然の進化だ。
測定は批判ではない。測定は信頼の言語だ。そしてヘラルボニーが社会に求めているのも、究極的には信頼の更新ではないか。
付記:成熟度診断スコア(ヘラルボニー)
本スコアはImpact Management Reviewの独自診断フレームワークに基づく。詳細は「インパクト経営成熟度診断とは何か」を参照。



